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  • 執筆者の写真ブレイブハートNAGOYA

0031 女性へのAED使用の議論は「木を見て森を見ず」ばかり

女性傷病者へのAED使用に関し、「セクハラだと言われる」「訴えられたくない」などの論調がここ数年特に高まり、様々なメディアで取り上げられるほか、傷病者を覆うシートなども発売されるようになりました。しかし、それぞれの議論をみると、どうも「木を見て森を見ず」感が否めません。


心停止傷病者の「救命の連鎖」全体を見ず、AED使用という単一手技だけ見てしまっている。一般市民なら仕方ないことですが、指導者や普及啓発にあたる層までもがそうなってしまってはいないでしょうか。


※この記事は、救命法の指導や普及啓発にあたる方々向けに作成しています。

 

やりたくないならやらなければいい


そもそも、日本の一般市民(善意で救助を行う人=バイスタンダー)向け救命法教育は、「救助を行うか否かの判断」を飛び越し、皆が救助を行う前提で進んでいくので話がおかしくなります。



本来、救助に着手するまでこれだけの判断と分岐があるわけですし、「安全ではない場合、救助を行ってはならない」と講習内でも論じている「安全」は、車に轢かれるなどの物理的リスクの解消だけでなく、心的リスク(PTSDなど)や法的リスクの解消も含まれます。


  • あなたに救護義務がなく、「訴えられたくない」という不安があるのならば、救助を行わないという選択肢もある。

  • その場合、119番通報をしたり、施設の関係者(駅員や警備員など)を呼んだりするなど、自分でできる範囲のことをすればよい。それだけでも何もしないより救命率が上がる。


AHAのハートセイバーコースなどではテキストの冒頭で説明されていることですが、日本の市民向け蘇生教育分野でももっと論じる必要があると考えます。


なお、これはあくまで善意で救助を行う市民について。

市民(非医療従事者)であっても、業務の範ちゅうとして救助を行う責務がある立場(レスポンダー=教職員、保育、介護、警備、スポーツ指導者など)は救助を拒むことはできず、「できるためにどう備えておくか」が問われます。

国内の裁判例をみても、「救助を行ったことで生じた害に対する責任」ではなく、「当該職種として相当水準の救助を行わなかった・行うことができる備えがなされていなかったことの責任」が問われているものがほとんどです。

 

自己紹介をして状況を口に出す


公の場で、私服の何者かわからない者が第三者(傷病者)にいきなり触れれば、傷病者自身にも周りの人にも不安や疑問等が生まれます。応急手当のひとつの目的が「苦痛を和らげる」であるのに、心的苦痛を与えてしまうようでは、応急手当の本旨に反しています。


ハートセイバーコースなどでは、傷病者や周りにいる家族等に対し、救助者が自己紹介をして救助の同意を得る指導がなされますが、これも日本の蘇生教育で欠損している部分。

「助けるのは当然」「助けられたら感謝をするのは当然」といった考え方で進む蘇生教育と現実とのギャップを埋める必要があります。


また、傷病者の反応がなく、周りに家族等がいない場合でも、「反応も呼吸もないので心肺蘇生を行います」「AEDを使うので服を脱がせます」などと都度口に出すことは、救助者が行う行為の妥当性を周囲に知らせ、トラブルを防止する効果も生まれます。

 

119番通報をして口頭指導を受ければ…


現場から携帯電話で119番通報をして、通信指令員の口頭指導を受けることの重要性は、蘇生ガイドライン改訂のたびに強く謳われるようになりましたが、市民が通信指令員の指示を受けて当該行為を行えば、その妥当性や正当性は確かなものに。ヤジを飛ばす人がいたとしても、「消防官からの指示で行っています」と言うことができるでしょう。

口頭指導を受けることは、的確な救命処置を行うのみならず、トラブル防止にも繋がります。

 

倒れている=「すぐAED」 ではない!


顔を見れば血の気が無く、青白いというか土気色をしている。白目をむいたり口から泡をふいたりしているなど、明らかに「おかしい」と思える外見で倒れているのが心停止の傷病者。すやすや寝ている人とはパッと見で明らかに異なります。

そのような人に対して胸骨圧迫を繰り返す中でAEDを使用する際、「あの人はやましいことをしている!」と周りの人が言う状況はどれだけあるでしょうか。


実際の心停止傷病者の映像
Young Boy Taka Comes Back From Dead!(Bondi Rescue)
https://www.youtube.com/watch?v=ICODRFoWZkw&t=13s 

病院外領域でのAED使用事例を見聞きすると、心停止に至っていないにも関わらず、「とりあえず」「念のため」とAEDを装着する例が散見されます。

例えば、駅などで迷走神経反射により失神した(一時的に気を失った)人に対し、とにかく服を脱がしてAEDのパッドを貼ろうとすれば、周りの人が誤解したり、場合によっては倒れた本人が「必要もないのに服を脱がされた」と思ったりすることもあるかもしれません。


AEDは心停止の場合(市民の場合、「反応がない+正常な呼吸がない」が判断基準)のみ使用してよいもの。これはAEDの添付文書にもしっかり謳われています。

▲旭化成ゾールメディカル製『ZOLL AED Plus』の添付文書から



心停止ではない状態でAED使用を開始することは誤った使い方。

心停止ではない、会話もできている状態の人にAEDを使用した結果、無用の電気ショックを行ってしまった例は日本国内でも起きています。


過去ブログ:間違いだらけのAED Vol.3 – 意識がある人に電気ショックを行うことがある?! -(2020.07.08)
https://www.qq-bh758.com/post/_0016 

▲日本光電製『AED-2100』の添付文書から



「心停止かも?」と思ったらまずAEDではなく、まず胸を押す。(胸骨圧迫)

AEDは心停止の場合に使う=胸骨圧迫も行っていなければおかしい。


AED使用の基本的ルールをしっかり守る。

それだけで防げるトラブルがあるはずです。

 

着衣のままAEDを使えるか?


近年の女性へのAED使用に関する論調をふまえ、「服をすべて脱がさなくてもAEDは使用できます」といった広報を行政機関等が行っているのを見かけますが、正直なところ実効性に欠ける部分があるのは否めません。


女性用下着をつけて重ね着をしたマネキンでシミュレーション訓練を行なってみると、服の隙間からAEDのパッドを貼ろうとする方が一定数いらっしゃいますが、ほとんどの場合、パッドが途中で服に貼り付いたり、下着やコードを噛んだままパッドを貼っていたりと、適正なパッド貼付とはいえない状態になってしまいます。

AEDトレーナーの訓練用パッドに比べて、実際のパッドは重い・しなる・粘着力が強いものですから、さらに成功率は下がるのではないでしょうか。(市民向け講習であれば、「服を着たまま湿布薬を素肌に貼れますか?」と聞くと、皆様納得くださいます)

また、このような一体型パッド式AEDや、胸骨圧迫フィードバック機構付分割型パッド式AEDの存在は加味していないのではないでしょうか。(近年話題になった、女性傷病者の体に装着する目隠しシートも、このような仕様のAEDの存在を加味していないものが少なくありません。)

一体型パッド等でなければ、ブラジャーを外さずにこのようなパッド貼付もできる(現行の「救急蘇生法の指針」でも解説されています)のですが、一般市民層にあれこれ手法を教え込もうとするのは難しいもの。関係ない周りの人を遠ざけることなどをレクチャーしたほうが、実効性は高いといえますし、最も論じるべきは「女性の肌を露出させることはためらいがちだが、電極パッドを正しく貼り付けることが優先」ということ。これは救急蘇生法の指針でもしっかり謳われています。


配慮を優先するあまり、電気ショックの実施が遅れる⇒救命率が下がる…では、元も子もありません。

 

勇気だけを論じるな!


女性へのAED使用に関し、救命のためにはプライバシー等への配慮よりも直接的な救命処置が優先であることは明白ですが、だからといって指導者層が「勇気を出して!」ばかり論じているのもいかがなものかと思います。

根拠ある正しい知識を得て不安が解消されるからこそ、一歩踏み出す勇気が生まれるもの。なぜ勇気がでないかにアクションせず、ただ「勇気を出して!」と繰り返すのは、教育とはいえないでしょう。


過去ブログ:「愛と勇気」を唱えれば傷病者は救えるのか?(2019.12.31)
https://www.qq-bh758.com/post/_0006 

日本AED財団が昨年リリースした救命サポーターアプリの広報資料には、『AEDを動かすのは勇気じゃない、知識だ。』というコピーが使われていますが、これまで愛と勇気ばかり謳われていた我が国の蘇生教育の中で、非常に強いメッセージを持った言葉であると感じています。


とはいえ、伝える情報量をどんどん増やすのも教育効果を下げてしまうもの。

あれこれ新たな手法や資機材を増やすよりも、もともと存在する基本に忠実であること・それに基づく指導を行うことが、このジャンルの課題解決に必要なことであると考えます。指導者がそれに目を向けず・または知ろうとしないのでは、いつまで経っても進展はないでしょう。


そして、善意の一般市民(バイスタンダー)層には


  • 自分にできる範囲のことをしてほしい

  • 傷病者に直接触れることだけが救助ではなく、119番通報をすることや施設職員に素早く報告することなども立派な救助である(救命の連鎖をスタートさせ、救命の連鎖全体の質を上げる)


ことなどをPRするほか、レスポンダー層には直接的救命処置のスキルだけでなく、現場を管理するスキルやそれに必要な資機材とシステムを構築することを訴えかけることが必要です。


命を扱う分野だけに、SNSや各種メディアではセンセーショナルな部分だけがクローズアップされがちですが、指導者層はそれらに流されることなく、救命の連鎖全体の質の向上を見据え、正しい知識などの普及に努めたいものです。


 

▼追記


SNSの投稿を見ると、「女性の救助は絶対にしない」といった意見の方も少なくありませんが、本記事で述べたように、その方に職責がないのであればそれもひとつの選択肢でしょう。

とはいえ長い目で見れば、病院外領域でのCPR実施者を減らす(そのような意見を発し続ける)ことは、もし自分が将来心停止となった場合に、自分を助けてくれる人を減らすことにも繋がるのではないでしょうか。(それでも良いと言われればそれまでですが…)


我が国における市民によるAED使用が始まってから間もなく20年。

いまや大学生までもが生まれながらにして市民によるAEDがあたりまえの世代であり、学校の授業にも救命処置が入っています。

イベントでのCPR体験ブースなどで若い世代の方と接すると、それより上の世代の方とは救命処置に関する考え方も少々違う(救命処置への抵抗が少ない)ようにも感じます。


街中を行き来する人の大多数が「バイスタンダーCPRはあたりまえ!」と思うようになるには、あと20年ほどかかるのかもしれません。

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