ブレイブハートNAGOYAが2024年春から開催しているこの講習。
BLSプロバイダーコースのように、実際に傷病者の対応を行うスキルをトレーニングする講習ではなく、組織の救急対応システムを構築するための考え方や手法を学ぶことができる一風変わった講習です。
救命法指導者のほか、病院の医療安全担当者、保育所の安全指導者、養護教諭など、組織内で救急対応の仕組み仕掛けをつくる立場の方にこれまで受講いただいていますが、どんな内容を取り扱うのか、この記事でその一部をご紹介します。
ワークの一部。
これまでに開催した講習では、受講者は地元地域の方よりも、遠方の方が多いのが特徴です。
東海地方のほか、首都圏や東北、四国からも受講くださった方が。
定期的に救命講習を行っているから大丈夫…ではない
定期的な救命講習を職場で開催していたのに、実際の傷病者対応がうまくいかなかった…という話がよく上がりますが、それもそのはず。スポーツ選手がキャッチボールや素振りだけしていても試合に勝つことができないように、胸骨圧迫やAED使用の手技のみを繰り返し練習しても、実事案を踏まえた戦術や資機材整備、体制構築、それらを落としこんだトレーニング、それらを包括する戦略がなければ、実事案での対応がうまくいくことはありません。
定期的な講習は開催していたが、皆、思うように行動できなかった
傷病者が窒息していることを見ぬけず、気道異物除去の手技を行わなかった
過去の救命講習では取り上げなかった事象が起き、処置ができなかった
AED等の機材は敷地内にあったが、現場まで持っていく人はいなかった
現場から119番通報ができず、電話がある職員室まで走っていった
管理者の誤った指示に対し誰も修正提言ができず、誤った処置が行われた
上記のような有害事象は、単に救命講習を開催し、従業員等を受講させるだけでは解決できません。
救助に関する責任は問われない…というものでもない
心肺蘇生等に伴う責任が問われないというのは、あくまで善意で救助を行う一般市民のこと。医療職ではない、蘇生ガイドライン等で「市民」にカテゴライズされる立場であっても、教職員や保育士、介護職、警備員など業務の範疇で傷病者対応を行う立場はその職責を果たすことができなかった場合、法的責任を問われる可能性があり、裁判例も数々存在します。
それらはいずれも「やった結果起きたことの責任」ではなく、「やらなかった・できなかったことの責任」が問われているものであり、平素からの体制づくりなどが不可欠であることを示しています。
参考記事:ブレイブハートNAGOYAブログ(2023.11.10) 「市民」が行う心肺蘇生でも責任を問われることがある?! -救助者の立場とその責任を考える-
守るべき資産の特定
❶ 何を?
❷ 何から?
❸ どのレベルで守るのか?
傷病者対応に限らず、犯罪や災害への対応など、組織の目的達成を阻害する有害事象による被害のコントロール(リスクマネジメント)を考えるうえでの大原則となる3つの質問がこちらです。
組織における傷病者対応で守るべきものは、傷病者の命だけではなく、傷病者の家族、組織、その他ステークホルダーをさまざまな有害事象(法的責任、金銭的損失、時間的損失、名誉や信頼の低下、風評など)から守るという視点が必要です。
参考記事:ブレイブハートNAGOYAブログ(2020.8.4) 救命講習は何のためにある? -リスク対策としての救命講習-
この講習では、組織のリスクマネジメント(ERM)の一環としての取り組みを行うべく、リスクマネジメントに関する国際規格であるISO31000などを踏まえ、組織の救急対応システム構築を考えていきます。
脅威の評価を行ってこそ実効性ある対策がみえる
多くの場で心肺蘇生トレーニングが行われるのは、国内で心臓突然死が年間数万人も発生しており、かつ、数分で死に至ってしまうものだから。死に至るまで2時間の猶予があるならば、これだけ盛んに教育が行われることはないでしょう。
これに対し、銃による外傷も数分で死に至る事象ではありますが、日本では発生頻度が非常に低いため専門職以外への教育が行われることは少ないもの。しかし、銃撃事件が多いアメリカでは「Stop the Bleed」キャンペーンなど市民向けにも外傷教育が行われます。
他方で、日本国内の保育所や特別支援学校、高齢者施設等では、過去たくさんの窒息事故が起き、重度の後遺症や死亡事例も数多い事象です。発生頻度が高く、かつ数分で生死が分かれる窒息の対応や予防に関するトレーニングは、このようなフィールドでは優先度が非常に高いはずなのですが、残念ながら窒息に関するトレーニングは十分行われておらず、心肺蘇生やAEDに力点を置いた救命講習が「なんとなく」「それっぽく」行われ、かつ「登園では毎年救命講習を開催しています」などとPRしていることも。
その結果が、大分県の特別支援学校での生徒窒息死亡事例(2016年)や、島根県の保育所での園児窒息死亡事例(2020年)に繋がっているといえるのではないでしょうか。
脅威の評価を行わないまま進める安全対策は、「Security theater」(見せかけの安全対策)の創造にしかならないのです。
このように、有害事象による被害のコントロールを考えるには、それらの脅威の「発生頻度」と「影響度」をかんがみ、対策の優先順位をつけていく必要があります。
この講習では評価を行うための手法として『R-Map』を使用し、例題を通じて評価のトレーニングを行います。
発生頻度については定量的表現をすることが必要で、製造業の製品不良対策では「10万台製造のうち1件未満/年」などの定義を行いますが、傷病者対応については「年間5件未満」など件数で定義づけるとよいでしょう。
ESRMサイクルを活用しマネジメントシステムを構築・運用する
ESRM:Enterprise Security Risk Managementは、基本的なリスク原則を適用して、組織が抱えるあらゆるセキュリティリスクを包括的なアプローチでマネジメントするためのフレームワークであり、世界最大のセキュリティマネジメント専門家団体であるASIS Internationalが2019年9月にガイドラインを発表しました。
この講習ではESRMの手法を流用し、組織の救急対応システム構築を考えていきます。
この図表が何を意味しているかは、ちょっと見ただけではなかなか理解できないものですが、講習を修了するときにはこの表が自組織でシステム構築を考えるうえでの強い味方となっていることでしょう。
救急対応システムの構築は、担当者や担当部署だけが動いてもうまくいきません。
経営層がその重要性を理解し、必要な資源(人・物・金・情報)を提供するとともに、関係者の理解と行動が得られなければ、机上の空論にしかなりません。
救急対応システム構築の重要性を認識している担当者の多くに共通した悩みは、「上層部がその必要性を理解してくれない」というものでしょう。この悩みも、ただ「必要だ・大切だ」と訴え続けるか、それとも根拠を持って可視化された脅威評価やその対策等を提示し、資源を投入する価値があると気付かせることができるかで、道は大きく変わってくるかもしれません。
事故事例から学ぶ - エラーチェーンとSHELモデルによる分析 -
うまくいかなかった事例は多くの教訓を含んでいるものですが、「なぜうまくいかなかったか」を体系立てて分析できないと、個人に責任を押し付けて終わってしまいがちです。
人はどれだけ努力しても間違えてしまうものであり、ヒューマンエラーの連続により発生した事故は、根本要因を絶たないことには再発防止策になりません。
この講習では、不適切な結果となってしまった傷病者対応例題に対し、航空事故分析等で用いられる「エラーチェーン」と「SHELモデル」という2つの手法を用いてその要因分析や対策立案をトレーニングします。
SHELモデルは民間航空業の事故分析で古くから使われている手法で、自身を取り巻き影響を与える様々な要因(他人、ソフトウェア、ハードウェア、環境)によってどのようにエラーが引き起こされたかを考えるために使用します。
この派生版で、医療分野向けに考案された「P-mSHELL」などに触れたことがある方もいらっしゃるかもしれません。
また、事故は1つの行為によって起きるものではなく、いくつかのヒューマンエラーが鎖のようにつながって、最終的に事故に至るものです。
この鎖をどこかで断ち切るための具体的かつ実効性ある対策を考えるため、2つの分析手法を使い、当事者のスキルや感情、人間関係、組織風土、規定類の実効性、機器の扱いやすさ、環境条件や気候など、多角的にエラー要因を抽出していきます。
明確で実効性ある規定や計画を整備して運用する
欧米のセキュリティリスクマネジメント分野などでは、
SOP:Standard Operating Procedure(標準作業手順書)
ERP:Emergency Response Procedures(緊急対応手順書)
を実効性をもって計画・策定し、その計画に従って行動するスタイルが一般的であり、脅威評価に基づき綿密に講じた対策を行動手順として定めておけば、「想定内」で対応できるようになるものです。簡単なテンプレートが用意されており、ただ虫食い部分を埋めるだけでの計画策定ではそれは成し得ません。
組織の救急対応システムにおいては、次のような手順を定めるべきでしょう。
▼SOP:Standard Operating Procedure(標準作業手順書)
組織や施設等の概要
関係部署や担当者の連絡先と分掌事務、外部の相談窓口等の連絡先
AED等の救急用資機材の種類や配置場所、保守の要領
従業員の属性とスキル要件、トレーニングの種類、頻度等
従業員等の健康状態に関する情報の管理方法
健康上個別の配慮が必要な従業員等の情報 など
▼ERP:Emergency Response Procedures(緊急対応手順書)
緊急事態を覚知した者の行動基準と通報連絡手順
対応スタッフや救急用資機材の出動に関する手順
想定される傷病の態様と対応に係る行動基準
スタッフの任務分担や指揮情報系統
救急隊等の進入離脱導線
連絡や報告を行うべき相手方と連絡手順
搬送後の対応手順等
血液曝露等の有害事象が起きたときの対応手順 など
近年日本でも、スポーツ現場等におけるEAP(Emergency Action Plan:緊急時対応計画・ERPと同様のもの)策定が謳われるようになってきましたが、計画をつくるだけでは意味がなく、計画に基づく行動ができるかのトレーニングや、計画の実効性の検証が繰り返し必要となることは言うまでもありません。
組織における救急対応トレーニングとは、SOPとERPで定めた手順が円滑に進行できたかの検証であるといえ、その中でうまくいかなかった部分を体系的に分析し、改善するための通過点です。講習会・研修会を開催したからOK!ではないのです。
業務としての救命法を扱う指導者にはこれらの視点が必要
日本の救命法教育分野で最も遅れているのが、保育所や学校、事業所など、業務の範ちゅうとして傷病者対応を行う非医療職領域への教育。そのそもこの領域の救命法プロバイダーを育成するプログラムは日本にはほぼ存在しません(アメリカではAHAのハートセイバーシリーズなど)し、その指導者を養成するプログラムも同様です。おそらくこの領域で「救急対応システム構築」までを見据えたトレーニングを提供できる指導者は、国内に数えるほどしかいないのではないでしょうか。
とはいえ公的なプログラムがポンと誕生するものでもありませんから、既存のプログラム等と必要な専門知識を組み合わせて、各領域で活動できる指導者を養成すべく、ブレイブハートNAGOYAではこの講習を企画しました。
この記事を書いた2024年11月以降のこの講習は、同12月に香川県小豆島で開催。救命法指導者のスキルアップをサポートすべく同地区で半年ごとに開催している『救命法指導員 BOOT CAMP』の一環としてこの講習を開催します。
公募型での受講受付ですので、四国・西日本エリアにお住まい・勤務の方をはじめ、日本各地でこの分野の悩みや課題を持つ方に受講いただければ幸いです。
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