国の将来を担う子どもたちが通う学校や保育園、幼稚園では、子どもたちの生命・身体を脅かす事象がたびたび発生します。
埼玉県の桐田明日香さんのような心臓突然死だけでなく、アナフィラキシーや窒息なども数多く発生していますが、そのような事象が起きたときに組織として最適・最良の対応を行うことはできるでしょうか。
残念ながら、「最適・最良」のギャップはまだまだ大きく、そのギャップに対する責任が問われた事例はいくつも存在しますし、なにより大切な子どもたちの未来が失われています。
救命処置に伴う責任は問われない…わけではない
心肺蘇生などの救命処置に伴う責任は刑事・民事ともに問われることがない…というのはあくまで「善意で救助を行う市民」についての話。
教職員や保育士など「職務上傷病者対応を行う責務がある市民」(以下、「救護義務者」といいます)は決して無責任ではなく、救命処置に伴う責任が問われた判例も存在します。
ここを誤解している指導者が、蘇生ガイドライン上の「市民」が行う救助あればすべて責任は問われないと講習で説明していたり、消防機関の救命講習のような善意で救助を行う市民向けの心肺蘇生トレーニングを救護義務者が受講してしまうことで、「責任は問われない」と誤解してしまう。その不利益を最終的に被るのは傷病者でしょう。

この表は、救急蘇生法の指針等を踏まえ、救助者の職域や責任有無などをシンプルにカテゴライズしたもの。救命法トレーニングを設計するにあたっては、まずは救護義務があるかないか、すなわち救護に伴う責任があるかないかをしっかり見極める必要があります。
例えば、学校等ではしばしば「教職員・保護者合同での救命講習」が開催されます。せっかく講師や資機材等を準備するのだから、できる限り多くの人に受講してもらおうということなのでしょうが、教職員と保護者は責任有無やスキルの要求水準が異なるため、講習は切り分けて実施すべきです。
教職員のような救護義務者が救命処置に関し責任を問われるのは、救助を行った結果起きた有害事象(例:傷病が悪化した)についてではなく、法令や関係規則、蘇生ガイドライン及び救急蘇生法の指針、社会通念等に基づく「最適・最良」とそのギャップに対する責任が問われているもの。
そのギャップの要因としては、組織としての規則やマニュアル類の不整備、マニュアル等に基づく対応を行うための訓練や資機材等の不足、立場と責任に関する職員の認識不足や誤りなどが挙げられます。


昨今の救命法裁判は、窒息に関係するものが目立ちます。
多くの救命講習で窒息対応は最後の方で少し触れられるだけで、心肺蘇生法ほど訓練されていないのが実情。この訓練不足が実事案での対応の質に直結しますし、公開されている報告書をみると、通報手順の未確立など、組織としての「体制づくり」の不良が散見されます。
子どもが死亡する事故が起きれば、施設の名称なども含め、メディアで大々的に報道がなされるほか、SNSでは事実かどうかを問わない様々な憶測や暴言等も飛び交います。YouTubeなどでは事故のまとめ解説動画等が配信されることも近年少なくありません。
保護者や地域などからの不信感も増し、入学者や利用者等の減少も将来的に起き、その結果として組織の経営が成り立たなくなるかもしれません。
裁判となれば相当な時間と苦労が伴います。
様々な対応に追われ、関係者の日常は損なわれます。
最終的に責任が認定されなかったとしても、そこまでには数年間を要します。
たしかに心停止となった傷病者は助からないケースも少なくありませんが、「助けられる余地があった」か「最善を尽くしたが助けられなかった」かでその後の道は大きく変わります。
組織の救命法トレーニングと体制構築は、傷病者を助けられなかったとしても、後者につなげるためのものであり、組織とステークホルダー(利用者や従業員、関係組織、株主など)を守る意味を強く有しています。
人工呼吸の省略は「子どもの命を救う気が無い」ことの現れ
ひとくちに「心停止」といっても、大人と子どもではその機序が異なります。
●大人が突然倒れて心停止になった場合は、心室細動など心臓に原因がある心停止(心原性心停止)が多い
⇒ AEDの電気ショックが適用となる場合が多く、電気ショックが救命のために重要
●子どもの心停止は、呼吸機能のトラブルで体が低酸素状態になり最終的に心停止に至る心停止(呼吸原性心停止)が多い
⇒ AEDの電気ショックでは救えない・人工呼吸で酸素を補わないと助けられない
近年、人工呼吸を省略した胸骨圧迫のみの心肺蘇生が普及しましたが、もともとは
成人に多く発生している心臓突然死の減少を図る
心原性心停止の場合は血中に酸素が残っているので、数分間は胸骨圧迫のみでも救命率を保てる
全てのケースで人工呼吸まで必須とすると一般市民は救助自体を忌避してしまうので、胸骨圧迫やAED使用だけでもしてもらいたい
というコンセプトで打ち出した施策。
2008年にAHAが胸骨圧迫のみの心肺蘇生『ハンズオンリーCPR』を打ち出した際にも、「ハンズオンリーCPRは以下の人には推奨されません」とし、反応のない乳児や小児、溺水、外傷、気道閉塞、急性呼吸器疾患、薬物過量などによる無呼吸を掲げています。
にも関わらず、メディア等で「人工呼吸はいらなくなった」とおかしな切り取り方をされたほか、不勉強な救命法指導者らが不適切な指導を行った結果、誤解が広まりました。人工呼吸が全く不要とされたことは過去存在せず、特定条件下においては省略できることが謳われたに過ぎません。
呼吸原性心停止が大半を占める子どもの心停止は、昔も今も人工呼吸を含むフルサイズの心肺蘇生を行うべきであることが、蘇生ガイドライン及び救急蘇生法の指針で謳われており、コロナ禍でもそれは変わりませんでした。
救急蘇生法の指針では、子どもの接する機会の多い職種や養育者は、訓練を受けて子どもに最適化されたBLSを実施すべきであるとしています。
「人工呼吸は難しいからできない」が許されるのは救護義務がない人々。「難しいからできるようになるまで訓練しておく」が救護義務がある立場には求められます。
コロナ禍においては感染対策のため、呼気吹き込み人工呼吸の練習が行われなくなり、子どもを救うための技術を習得する場が数年に渡り失われてしまいました。
アメリカ心臓協会AHAのプログラムはすでに人工呼吸を含む通常の進行に戻されていますが、国内の心肺蘇生講習では未だに人工呼吸練習を省略しているケースもあるようです。
職業訓練としての小児一次救命処置(PBLS)トレーニング
子どもたちの命を業務として守るべき立場にある人や組織は、人工呼吸を含む心肺蘇生が確実に行えるような備え(訓練や資機材整備など)を行う責務がある。そこが善意の救助と業務上の救助の大きな違いです。
手技の難易度や感染防止効果、心的負担などをかんがみると、人工呼吸はフェイスシールド(製品名でいえばキューマスクやレサコなど)ではなく、少なくともポケットマスクを備えたいところです。
アメリカでは労働安全衛生局OSHAの規則で職場でのCPRについても定めがあり、それに基づきAHAでは救護義務者向けCPRトレーニングプログラムとして『ハートセイバー CPR AED』コースを展開し、同コース内ではポケットマスクを用いた人工呼吸も練習します。

ポケットマスクは日本ではまだ認知度は低いものですが、現行版の救急蘇生法の指針にもイラスト付きで説明されています。(救急蘇生法の指針2020(市民用) P30)
しかし、日本では救護義務者に最適化された教育プログラムがほとんど無く、独自のプログラムを運用している一部の領域を除けば、多くは善意の救助者向けプログラムを受講しているのが実情ではないでしょうか。
救急蘇生法の指針で「子どもに接する機会が多い職種」に対し子どもに最適化されたBLS(PBLS)習得を推奨しているにも関わらず、業務としてのPBLSを習得できる日本発祥の標準化コースが存在せず、最適な知識と技能を持った指導者も養成されていないのは非常に辛いところです。
国際蘇生連絡協議会の勧告を踏まえた蘇生ガイドライン策定と教育プログラムまでを一貫して同じ団体が行っているアメリカに対し、蘇生ガイドライン、実務的指針(救急蘇生法の指針)、教育プログラムをそれぞれ別の団体や省庁などが担っている日本の課題といえる部分でしょう。
2024年6月3日に文部科学省が通知『心肺蘇生等の応急手当に係る取組の実施について』(令和6年6月3日 6教参学第14号)を発出しましたが、本文と添付文書を読んでも
救護義務者として最適なPBLS教育プログラムが創設されたわけではない
消防機関の既存のプログラムを使用し、地元消防機関と調整のうえトレーニング推進に努めるよう促す
実情等に応じてプログラムを採択し、場合によっては救命入門コースでもよい(※同コースは善意の市民救助者がCPRとAEDを学ぶ"第一歩"としてのコース)
文部科学省としては課題に触れたので、あとは各領域でうまいこと進めて…という現場丸投げ文書
としか読み取れず、おそらく国内における劇的なPBLS教育の進化は得られないでしょう。
とはいえ、今日も全国各地で子どもの生命・身体を預かる場は動き、そこで働き、かつ知識と熱意等ある一部の方々が今日も「このままではまずい」「こうあるべき」という想いを抱きながら勤務を続けています。
そんな方々や組織をサポートすべく、ブレイブハートNAGOYAでは業務としてのPBLSトレーニングを提供することも可能です。
▼学校・保育園・幼稚園等の勤務者を対象とした業務対応としての小児一次救命処置(PBLS)講習の例
区分 | 内容 |
イントロダクション | 研修内容と目標の確認、心停止対応と蘇生の実情など |
子どもの心停止の特徴と対応の責任 | 大人と子どもの心停止の違い、子どもを救うために必要なこと、法的責任と組織等の保護 |
感染防止と安全確保 | 感染防止手袋の着脱(実技)と処分法、付着した血液等の処理、安全確認と脅威の排除 |
通報連絡と記録 | 通報時の注意事項、119番通報(実技)、記録の重要性 |
心停止の確認 | 反応の確認(実技)、救急対応システムの発動手配(実技)、呼吸の確認(実技) |
胸骨圧迫 | 胸骨圧迫の効果と誤解、小児に対する胸骨圧迫(実技) |
ポケットマスクによる人工呼吸 | 小児用ポケットマスクを用いた人工呼吸(実技) |
CPRの継続 | 傷病者発見からCPR継続まで(実技) |
バッグマスク使用と救助者の連携 | バッグマスクを用いた人工呼吸(実技)、2名の救助者によるCPR(実技) |
子どもの心停止におけるAEDの使用 | AEDに関する誤解と正しい知識、2名の救助者によるAED使用とCPR継続(実技) |
窒息対応 | 窒息事故の実情と予防、反応があるときの対応(実技)、反応がないときの対応(実技) |
アナフィラキシーへの対応 | アナフィラキシー対応の注意事項、エピペン®の使用法(実技)、心停止等の考慮 |
シミュレーション訓練 | チームダイナミクス、グループでの傷病者対応シミュレーション(実技) |
まとめ | 対応後の措置、救助者の心的ストレス |
最低時間4時間半ほどでCPRなどの手技の訓練だけではなく、組織の実情や特性を踏まえ、組織としてどうやって救急対応システムを構築するかを踏まえた、リスクマネジメントの一環としての救急対応トレーニングです。
ご相談は 問い合わせフォーム から承っております。
看護師や養護教諭は現場でプレイヤーになってはいけない
学校等の勤務者の中で最も医療的スキルが高いであろう人は、看護師や養護教諭。
子どもたちの「いざ」に備え、自らBLSプロバイダーコースなどを受講し、スキルを錬成している方も少なくありません。
ブレイブハートNAGOYAでは病院外verのAHA-BLSコースや傷病者アセスメント講習も開催しているため、そのような立場の皆様の受講が多いのものです。
しかし、そのような方々でも心停止や窒息といった重篤な傷病者をひとりで対応するのは不可能。周りの教職員や保育士の協力が不可欠…というより、心肺蘇生や通報連絡、記録、他の子どもたちの整理と保護、その他現場の管理など膨大なタスクは他の職員に行わせ、看護師や養護教諭はその場の指揮者になるのが、救助の質を最も高めるための最適解でしょう。
とはいうものの、「看護師さんに任せておけば…」という思いの職員も少なくありません。
全員が何を行うべきかの共通認識を持ち、組織として救急対応を行う必要性を認識させられるシミュレーション訓練などの実施が必要ですし、医療的知識を持つ看護師等だからこそわかる状況や見通し等を、一般職員にもわかる言語に翻訳して相手を動かす(情報伝達→理解→行動)スキルも看護師等には必要です。
なお、活動領域が保育園等であっても、看護師は蘇生ガイドラインと救急蘇生法の指針上のカテゴリが「医療従事者」であることは変わりません。医療従事者はバッグマスクを用いた人工呼吸を行う(やむを得ない場合はポケットマスクやフェイスシールドを使用する)ことがガイドライン等の定めであり、高次の対応者に引き継ぐまで人工呼吸を提供しないことは認められません。バッグマスクなどを備え付け、人工呼吸も提供できる体制を構築しておかないと、法的責任を問われる場合もあります。
参考ブログ記事:0019 看護師らが人工呼吸を省略したCPRしか行わなかったことで責任を問われたケース(2020年7月31日投稿)

関わる人と組織の”Life”を守るために
一般的な救命講習は、胸骨圧迫やAED使用といった手技練習。スポーツの世界でいえばキャッチボールや素振りの練習を行ったに過ぎません。
キャッチボールなどの練習だけでは試合に勝てないように、救急現場で適切な対応を成し得るには「練習試合」が欠かせません。傷病者発生から高次の対応者(救急隊など)到着までの一連のタスクを疑似体験し、課題を抽出するシミュレーション訓練の反復継続が、学校等における救急対応システムの質を高めるために欠かせません。
一般市民向け救命講習は、知識と技能を習得して自信をつけ、現場でひとつでもよいので行動してほしいというのがねらい。これに対し救護義務者の救命講習は「安心」を生み出してはいけないと考えます。
根拠のない安心は危機を生む。 その危機により誰かの”Life”は失われる。 適切な危機感は行動を変える。 適切な行動は安全を生む。 その安全は誰かの”Life”を変える。
存在する脅威を正しく認識し、起き得る事象を考える。
それらの事象の発生頻度と発生時の影響度を評価し、対応の優先順位をつける。
経営層に対応の必要性を認識させ、組織として対応に取り組む根拠と資源(人・物・金・情報)を得る。
実現すべき状況と現状のギャップを把握し、ギャップを埋めるための取組みを継続する。
組織の救急対応システム構築は、単発の救命講習で成し得るものではなく、ビジネス上のリスクマネジメントとしてのサイクルを実装し、運用することが必要です。

ブレイブハートNAGOYAでは、セミナー『リスクマネジメントの視点で考える救命法トレーニングと体制づくり』を定期的に開催しています。
学校や保育園、幼稚園、企業、病院、スポーツ現場などにおける救急対応システムをどのように進めていくか、経営者や権限者、他の従業員をどう巻き込んでいくかなどを、ワークとディスカッションを通じて練習していく、全国でも珍しいジャンルのセミナーです。
(講習の詳細な内容は、こちら もあわせてご覧ください)
この記事を投稿した直近では、2025年3月8日(土)に名古屋で開催予定です。
子どもたちの命を本気で守りたい
子どもたちを守る職業人として専門的な知識を学びたい
専門的な救命講習開催や資機材購入を経営者や管理者に訴えても、話が通じない
他の職員が救命スキル習得の重要性を理解してくれない
自身が職場で開催している救命講習の効果を高めたい
事故事例の報告書から教訓をしっかり読み解きたい
このような悩みや思いをお持ちの方は、是非名古屋までお越しください。
きっと課題解決に向けたヒントが見つかります。
※ワークなどを多く含むセミナーのため、対面での開催のみです。オンライン開催の予定はございません。
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